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ピアノレンタルLet's Play!
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ピアノって?What's Piano?
1823年(文政6年)ドイツ人シーボルト来日の際に持参したスクエア・ピアノが日本での最古のピアノとされています。 28年に熊谷五衛門義比に送られて伝わり、1959年(昭和34年)に修復、萩市の熊谷美術館に展示されています。ロンドンの「ロルフ W.Rolfe社製」で、 クラヴィコードの形態を明確に残し、鉄線及び真鍮線を使用し、無鉄骨、革ハンマーの古典的構造です。
1880年(明治13年)「音楽取調掛」は 教師としてL.W.メーソンを迎えアメリカ製のピアノ10台を購入しました。メーソン持参のアップライト(クナーベ Knabe製)ならびに 前記スクエア型と同型と推定される楽器が東京藝術大学に保存されています。アップライトは半鉄骨ながらアクションは現行と同様です。
1885年(明治18年)西川虎吉はドイツ人デリング(J.G.Doering)の技術指導を受けて西川ピアノ・オルガン製作所を創立。 87年頃に第1号のピアノを制作、弦だけが舶来品でしたが数年後には舶来アクション(スタンダード社製)を取り入れました。
山葉寅楠は故障した舶来リード・オルガンを修理したのをきっかけに同楽器を作り始め、 1897年に日本楽器製造会社を設立し1899年に文部省嘱託として渡米、ピアノ制作を学び帰国後、翌年からアップライトピアノを製造・販売しました。 1901年にはアメリカ製の部品によってグランドピアノの制作も始めました。1905年の万博博覧会にピアノとリード・オルガンを出品し、名誉大賞を得ています。
同社は1926年~1929年ドイツのベヒシュタイン社から技師を招いて指導を受け、 寅楠の養子直吉は日本楽器ピアノ製作部門の長として活躍、 1938年に没するまで試作・研究を続け、有能な技師達を育てました。そしてその作品には「N.YAMAHA」の銘があります。
1897年東京月島で楽器工場を始めた松本新吉は松本利助の協力により、1904年に61鍵の小型ピアノを制作・完成しました。 同社の技師松本広は1926年にドイツのグロトリアン・シュタインヴェーク(Grotrian-Steinweg)をモデルにグランドピアノを作り、 1929年コンサート・グランド作りにも先鞭をつけています。
東京の福島琢郎は農商務省の実業練習生ならびに文部省委託生として1913年(大正2年)に渡米、 ボストンのニュー・イングランド音楽院の調律科でピアノの調律と製作を学び、1916年に帰国、 1918年~1944年の第二次世界大戦の戦災まで設立した東京楽器研究所で、自身の設計したアップライトを製作しました。
小野好の始めた小野ピアノは1923年以来西川や松本のピアノを販売していましたが、 のちにスタインウェイを参考にした自社製のグランドやアップライトを出し、1950年代半ばまで製造しました。
1927年創業の河合楽器の創設者河合小市は日本楽器の初代アクション部長であり、 1906年21歳の時、最初の国産アクションを完成させました。その後も日本楽器に次ぐめざましい発展を遂げます。
山葉尚吉の弟子の大橋幡岩は日本楽器ではピアノ研究所長等を歴任、小野ピアノでは工場長として、第二次世界大戦後は独立して自身の工場を設立しました。 その製品は他に影響を与え、日本のピアノ製作に足跡を残しました。
第二次世界大戦の影響はこの業界にとても厳しく、例えば日本楽器は軍命によりプロペラや落下タンクを製造し、 1944年にはついにピアノ作りを差し止められます。戦後は資材の入手難が深刻でしたが復興とともに今度は数十社が林立する盛況となり、 1950年代半ばには品質において戦前をしのぐに至りました。
これ以後のピアノ作りは本格的な工場量産体制に移行し、企業数は減少します。 こうした経過を経ていまや日本のピアノは生産量において世界第1位となっています。品質も著しく向上し、諸外国への輸出も多くなりました。